好きなことを仕事にするリスクについて(参考書籍:科学的な適職)

天職は探すものではない

誰でも一度は自分にとっての天職とは?と考えたことはあるかと思いますが、ここ最近は天職は探して見つかるものではなく、今の仕事を天職に変えていくものだと考えています。

採用面接をしていても、スキルは十分にあったり、人柄も申し分ないのにも関わらず転職を繰り返している人がたまにいます。おそらく、彼らは天職を見つけることを望んでいるのだと思いますが、見つけようとすればするほど遠ざかるものではないかと思います。

 

「科学的な適職」という書籍の中にも、その主張を裏付ける内容がありました。

好きなことを仕事にしていた人ほど、「本当はこの仕事が好きではないのかもしれない・・・」や「本当はこの仕事に向いていないのかもしれない・・・」との疑念にとりつかれ、モチベーションが大きく上下するようになります。結果として、安定したスキルは身につかず、離職率も上がってしまうのです。

科学的な適職 4021の研究データが導き出す、最高の職業の選び方

科学的な適職 4021の研究データが導き出す、最高の職業の選び方

  • 作者:鈴木 祐
  • 発売日: 2019/12/13
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

世の中では、「好きなことを仕事に」というフレーズをよく見かけます。特に誰もが初めて仕事というものに向き合う新卒の就職活動ではそういった風潮が、(少なくとも僕が就職活動をしている10年前は)当たり前でした。 

そこで、ここでは好きなことを仕事にするリスクについて整理しておきたいと思います。 

 

1)仕事の対象が限定される

 そもそもなにかを「好き」になるということは、過去の経験による裏付けが必要です。何かを行った結果として、その行為がポジティブなものとして認識されるから好きになる。逆に言えば、経験をしていないことを好きになることはほとんどありません。

好きな食べ物も過去食べた経験があるから好きだと言えます。食べたことのないものを好きとう状態は基本的にはありえません。

一方で近い概念として「憧れ」ということはあるかと思います。例えば、ギターを引いたことはないけどエリック・クラプトンが好きだからギタリストになりたいとか。これは経験をしたことはないものとして、対象範囲はやや拡張させます。

いずれにせよ、好きなことを仕事にしようと考えたときには、

「過去に経験したことのうちポジティブな経験をしたこと」+「過去に見聞きしたことのうち憧れをもったこと」

に限定されることがリスクだと思います。

過去の経験自体が「世界にある仕事」という面積で考えたことのうち、極一部になり得るからです。特に新卒のときにイメージできる仕事は本当に一握りです。だからこそ、学生生活までで触れ合える食材系のメーカーや航空会社に人気が偏るのだと思いますが。

天職を見つけるという行為に対しては、好きなことを仕事にしようとして、かえって選択肢を狭めてしまい、その難易度を高めることになっています。好きなことを仕事にするのは対象を限定してしまうという意味で非常にリスクです。

 

2)期待値と現実のギャップが開きすぎる

好きなことを仕事にできた人は、なりたてにおいては幸福度は高くなると思います。そもそもその仕事につけたこと自体が目標達成になりますから、達成感と誇りみたいなもので大きなエンジンを積むことができると思います(僕は経験がありません)。

一方で、長期で見たときはどうでしょうか。これも『科学的な適職』から引用してみたいと思います。

いかに好きな仕事だろうが、現実には、経費の生産や対人トラブルといった大量の面倒事が起きるのは当然のことです。ここで「好きな仕事」を求める気持ちが強いと、その文だけ現実の仕事に対するギャップを感じやすくなり、適合派のなかには「いまの仕事を本当に好きなのだろうか?」といった疑念が生まれます。その結果、最終的な幸福度が下がるわけです。

これは、先程1)の部分で取り上げた「憧れ」を仕事にしてしまうとよりリスクが大きいということになります。「憧れ」が厄介なのは、経験がない分、基本的には光があたった部分を主な仕事だと認識します。しかし、表にでる仕事なんてものは本当に一部に過ぎないため、影の部分の仕事に対面した際の地味さや面倒さを許容できなくなります。

憧れで航空会社に就職した友人がすぐに辞めていく様子を何人か見てきました。それも必要な経験なのだと思いますが、仕事選びは慎重にしたいものです。

 

3)長続きしない

期待値が高すぎる反面、現実と対峙した際に「思ってたのと違った」ということで離職のトリガーになりやすくなります。そういった仕事が長続きしない、ということはビジネス人生としては案外と毀損が大きいものです。

天職を見つけようと思ったときに、個人的に重要だと思うのは、「作業興奮」と「コントロール感」の2つです。

前者は、その行為をしていること自体が自分にとって興奮に値するものであること。他のことが手につかなくなるくらい没頭している状態を意味します。後者は、その行為をするかどうかが自分で決定権があるということです。

両者とも、その特定に職能に対する「時間」を必要とします。

作業興奮するためには、トレーニングが必要です。その特定の行為が得意になること。得意でないことをやり続けるのは一般的に苦痛です。なので、トレーニング期間が一定必要になります。仕事は長続きしないと、結果的にトレーニング期間が短く、将来もしかしたら天職になっていたかもしれない業務も早々に離脱してしまいます。長期投資ではありませんが、一定長くやり続けることで花が開くこともあるのだと思います。

また、業務をコントロールするためには、その環境における裁量権が必要です。裁量とは他者から信頼されている状態で得られるものです。その業務に対してハイレベルな業務ができないうちは、到底得られるもので貼りません。

結果として両者ともやはり一定の時間が必要なわけです。その時間の早さについて個人差があるかと思いますが、それでも一定の時間は必要になります。「まずは3年やってみよ」という古い教え自体はそういった意味合いもあるのかと思います。

 

天職を見つけるには

それでは、何をもって天職を見つけるのかというと、結論としては「今の仕事に打ち込む」ということになります。今の仕事に打ち込んだ結果としていつの間にかそれが天職に変わっているということ。

その根拠として『科学的な適職』の中で、2014年に行われたロイファナ大学の起業家に対するアンケートの結果が紹介されています。

その結果わかったのは、次のような事実です。

◎いまの仕事に対する情熱の量は、前の週に注いだ努力の量に比例していた

◎過去に注いできた努力の量が多くなるほど、現時点での情熱の量も増加した

被験者の中で、最初から自分の仕事を天職だと考えていた人はほぼいませんでした。最初のうちはなんとなく仕事を始めたのに、それに努力を注ぎ込むうちに情熱が高まり、天職に変わった人がほとんどだったのです。

 僕自身もどちらかというキャリア形成の仕方が川下り型(山登り型と比較して、何かを目指してキャリアを形成するわけではなく、都度の選択を重視して形成されること)なので、納得感が高いデータでした。

子供の頃や学生自体に好きになったものも、本当はこれに近いのかもしれません。最初はすべてがなんとなく始めたり、誰かがやっていたからやってみたことばかりです。子供の頃はそういった初動に対して何の違和感もなく挑戦できる。いくつかのことをやってみた結果自分と相性のよかったものを結果として好きになる。

しかし、大人になると幾分賢くなるため、限られた時間の中で無駄な時間を使わないために、過去の経験から優れたものを再度選択したくなるのかもしれません。しかし、仕事という面積で見たときには、誰もが一部のことしか知りません。その中で選ぶということ自体が本来は成り立たないことなのかと思います。

であれば、目の前の向き合っている仕事に没頭して、その中で様々な経験値をスライド式に展開していくことがどうやら良さそうです。