僕たちにはもう楽なステージはない(劣化するオッサン社会の処方箋)

なぜ読んだか

まだ3冊目の読書ブログだと言うのに、そのうちの2冊が山口さんの著作となってしまいました。

それだけ、いつも興味深く読ませていただいております。

 

難しいことを難しいまま伝えるのはアマチュアのやり方だと思いますが、この方は難しいことをシンプルに伝えるだけではなく、一見理解できていそうだけど曖昧な認識だった事象もきちんとその構造を理解して、誰にもわかる言葉で言語化されているので、本当に知的な人だと感じます。

 

そんな素晴らしい知性を感じる著者の新作「劣化するオッサン社会の処方箋 なぜ一流は三流に牛耳られるのか (光文社新書)」も、またとても示唆に富んだ本でした。

 

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どうだったか

近頃ニュースで取り上げられるような問題は、日本のオッサンが劣化しているからであり、そのオッサンが量産されている背景は、歴史の流れや組織の構造上の問題がある、という主張の内容となっております。

もちろん、すべてのおじさん(年齢的な定義)が該当するわけではなく、下記のような特徴を持つオッサンが問題なのであって、非オッサンのおじさんが多く存在していることを前提としております。

  1. 古い価値観に凝り固まり、新しい価値観を拒否する
  2. 過去の成功体験に執着し、既得権益を手放さない
  3. 階層序列の意識が強く、目上の者に媚び、目下の者を軽く見る
  4. よそ者や異質なものに不寛容で、排他的

こういった特徴を持つのは、僕の周りの若手でも存在しており、若手でも「オッサン予備軍」、ないし既に「オッサン」なのでしょう。

 

様々な視点でオッサンについて考察を進める本書ですが、ここではベンチャー企業で働く30歳の視点で、今後の仕事観やキャリア観への示唆となった箇所を中心に振り返ってみます。

 

なぜオッサンは劣化したのか

まず、本書では、オッサンが劣化した背景として、①時代背景、②組織の宿命、から説明してます。

 

①は「勉強してこなかったアホな(知的に怠惰な)世代が今のオッサン世代(”知的真空世代”と読んでます)」という考察

②は、革新的なリーダーがいた大企業が何世代か世代交代が起こり、3流の人材がリーダーを担っているから、という考察(各社ユニークな現象ではなく組織だったらそうなるでしょという原則っぽい話)

となってます。

 

僕がこの世代だったら本を放り投げたくなるような辛口の表現もありますが、いずれも的を射ており、非常に説得力のある考察です。

人を奮い立たせるような挑戦しがいのある「良いアジェンダ(課題)」を設定するリーダーのもとでは、成長につながる「良い経験」が得られる一方で、なんの意義・意味も感じられないようなアジェンダしか設定できない三流のものとでは、成長につながる良質な経験は得られず、スキルや人格の成長は停滞することになります。
つまり、「凡人」のもとでは、「凡人」しか育たないということです。
(p47)

 

「オピニオン」と「エグジット」で対抗せよ!

そんなオッサンに対して若者は2つの武器をもって対抗しなければならないというのが著者の主張です。

その武器が、「オピニオン」と「エグジット」です。

オピニオンというのは、おかしいと思うことについてはおかしいと意見をするということであり、エグジットというのは、権力者の影響下から脱出する、ということです。(p56)

 
僕自身、対組織という観点では、後者の武器を使用したことがあります。
 
つまり「大企業から退職(転職)」ということですが、それは26歳の頃の話で今思うと明確に「オピニオン」で戦えなかった、ということがこうした選択をとった理由です。
それは、「意見をいうのがコワイ」、とか「誰に意見を言えばいいかわからない」という次元ではなくて、「どこが問題かちゃんと理解していない」からだったと思います。
 
そんな中「エグジット」という選択肢をとったのは、もしかしたら組織にとっても良い選択だったのかもしれません(僕の退職は直属した組織(※営業組織ですね)では結構問題視されておりました、その後何が変わったとかは全然聞かないですが)。
 
 

 

ともあれ、これら2つの武器を使いこなすのには、条件が必要になります。

 

その条件が、①自分自身の美意識をもつこと、②モビリティを獲得すること、の2点です。

 

美意識を鍛えよう!

①は、著者の別作「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」 (光文社新書)」でも主張されている内容ですし、著名な自己啓発本である「完訳 7つの習慣 人格主義の回復」でも指摘されているように、「他人のものさしや意見に自分の価値判断を預けず、自分自身の判断軸を持ってそれを曲げずに生きよう(原則にしたがって生きよう)」ということだと理解しました。

 

そうした時に初めて、自分がいる組織の意思決定が良いのか悪いのかを判断できるようになるのだと思います。

自分なりの美意識、つまり審美眼、道徳観、世界観、歴史観を持っている人は、明確な「許容できる、できない」という一線を持っているものです。

 

モビリティを獲得せよ!

一方で②でいう「モビリティ」とは下記の意味で使用されております。

「モビリティが高い」ということは、場所によって自分の正味現在価値が変わらないということであり、「モビテリティが低い」ということは、スキルや知識の文脈依存度が高く、場所によって大きく自分の正味現在価値が変わってしまうということです。

 

これは、人生100年時代の戦略を描いた「LIFE SHIFT(ライフ・シフト)」に指摘されている「無形資産」の確保の文脈に近いと思ったのですが、つまり、

汎用性の高いスキルや知識などの「人的資本」と信用や評判といった「社会資本」を熱くすることで、自分の「モビリティ」を高めるしかありません。

ということのようです。

 

こうして権力のあるオッサン以外の若者や中堅層が モビリティを高めることで、組織を変えていく力が生まれるということが著者の主張でした。

 

どこでも生きられる、誰とでも働けるという自信が、オピニオンとエグジットの活用へとつながり、これが権力をけん制する圧力ともなります。

 

これは誰か少数の優秀な人が、という話ではなくて、現在の若手・中堅層がそれぞれ持つべき考えだと思います。

 

オッサンは数の原理で勝ち上がって権力を手にしているので、多分若手も数で勝負しなくてはなりません。

そう考えると、こういった考えを自分自身で実行し、他者であるメンバーや同僚に普及することが、個人という単位ではできることなのかもしれません。

 

最後に

本書は、「オッサンからの被害者」として他人事と捉えて読むか、「オッサン予備軍」として自分事と捉えて読むかで学べることが全然異なります。

誰しもが、チャレンジを止めた時、好奇心を失った時、知的怠惰な姿勢を続けた時、オッサンになります。

これはある意味本当に怖いことで、「楽なステージ」はもう僕たちの世代にはないのだとということです。

 

前職の製薬業界では、40代のオッサンが今の場所が「楽だから」とか「前職と比べて天国やん」などと聞くことも多く、僕が別業界に転職する時も「もったいない」とか「気持ちが知れない」などと言われました。

 

確かに、60歳定年の時代であれば、あの方たちも「逃げ切れた」かもしれませんが、既にそういう時代ではなくなっていると思います。

 

劣化した「オッサン」になる前に、いえ、「おじさん」になっても「オッサン」にならないために、仕事での良質な経験を積極的に得ていきます。

 

最後に、戒めとして下記を引用しておきます。

問われるのは、「あなた個人はどのようにして組織に貢献するのですか」ということであり、単に年を食っている、経験年数が長いということだけでは、ドヤ顔のできない時代がやってきつつある、ということでしょう。

 

 今回も読んでいただきまして、ありがとうございます。

もう少し、高頻度で更新できるように、お酒の回数を減らそうと思います。